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【2024/11/22 16:23 】 |

首都圏大回り乗車
10月28日、私は大回り乗車をした。今まで数回しているが、今回はまったく新しいルートで行った。今回はそのレポートをお届けしたい。

外房線の始発列車には乗客もまばらだった。しかしそれも大網までであった。そこからは通勤客が大量に乗り込んできた。僕はここから東金線に乗り換えるため下車。

東金線ホームには停泊の京葉線201系と始発に使われる113系が居た。始発はやはり乗客はまばらで、僕の乗った最後尾は自分以外誰も居なかった。東金で大半の客が降りてしまい、あたりも日が昇ってきて不気味な明るさが恐怖になった。

成東からは総武本線に乗る。事前の調査でこの列車には211系が充当されるはずだった。しかし実際にやってきたのは113系だった(後に調べたところ、この列車の211系充当は11月3日からだった)。八街からは大量乗車があり、席が埋め尽くされた。乗客の大半は部活に行くであろうジャージ姿の学生だった。榎戸で乗る予定だった211系とすれ違った。乗りたかった・・・。

佐倉からは成田線に乗り換える。やってきたのはなんと211系!そういえば成田線にも導入されているんだった。やはり学生が大半を占めていた。服装からしてサッカー部だろう。酒々井では再び211系とすれ違い、両者の並びが見れた。
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成田からは我孫子方面に乗り換える。同じ成田線ではあるが常磐線と直通運転を行っている関係でE231系が導入されてまったく別の路線のように感じる。木下からは学生と通勤客が乗り込み、布佐からは立ち客が出るほどになった。
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我孫子からは常磐線に乗り換える。415系と415系1500の11両で運転だった。やはり通学時間帯だけあって学生の乗車が多い。取手の手前で利根川を渡り、茨城県へ入った。取手と藤代の間のデッドセクションでは車内灯が消え、国鉄時代の車両であることをうかがわせる。学生の大半はひたち野うしくで降りた。あとは水戸方面への行楽客といった感じだ。土浦を過ぎると乗客もまばらとなる。石岡では廃止の危機にある鹿島鉄道へ乗り換えられる。ホームには『カシテツを救え!』の張り紙と横断幕があった。残念ながら現時点では来年の廃止の方向で話が進んでいるという。

友部では水戸線へ乗り換える。駅舎の橋上化の工事中でホームにはガードマンが常駐している。やってきたのは先ほどと同じ415系1500で車掌は女性だった。新米らしく、指導員の男性車掌も乗務していた。笠間は笠間焼でも知られる場所で『関東の小京都』とも呼ばれる。大半の乗客はここで入れ替わった。羽黒付近では建設中の北関東自動車道のしたを通る。これが出来れば水戸線も少なからず影響を受けるだろう。下館は関東鉄道常総線と真岡鉄道のジャンクションで、真岡鉄道では土休日を中心にSLの運転が行われる。小山の手前ではデッドセクションを通過する関係で車内灯が消えた。
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小山では乗り換え待ちの時間を利用して駅そばを食べた。でも客に出す水を食器洗うときの水から出すって言うのはいかがかと・・・。
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では両毛線で旅を続けよう。両毛線乗り場は宇都宮線・水戸線の乗り場とは離れたところにあり、探すのに苦労した。停車していたのは211系で、ボックスシートが用意されていた。ずっとロングシートばかりだと思ってただけに衝撃を受けた。どうせならこれを千葉にもってきて欲しかった。路線はほぼ一直線でけっこう飛ばす。高架化された栃木を過ぎるとローカルなムードが漂う。ラーメンで有名な佐野を過ぎると山が目の前に迫ってくる。織物で有名な桐生は旅行でも何度も訪れている。時折ここからわたらせ渓谷鉄道に乗って山の中へ入る。だが今回はそれが出来ない。渡良瀬川の橋梁の向こうには山々が見え、風光明媚な路線であることを物語る。伊勢崎からは本数も増え、駒形から前橋までは複線となる。新前橋からは上越線に入り、信越線と新幹線が近づいてくれば終点の高崎。

高崎からは八高線に乗るが、1時間ほど時間があく。この間に昼食の駅弁購入(鶏飯弁当)とトイレ休憩を済ませた。3番線に入るともう場所取りの先客が居た。なんせ八高線は2両編成だが乗客は立ち客が出るほど多い。やってきた列車は3連のキハ110系だったが回送で車庫へ引き上げていった。その10分後にやってきたのもキハ110だったが短い2両だった。なんとか席も確保できたが目の前に人が座っているため食べるのにかなり気を遣った。列車は高崎の次の倉賀野までは高崎線を走る。烏川を渡ると高崎線と別れ、ディーゼルのローカル線となる。本数も1時間に1本程度であり、地元の人からは複線電化運動も出ているが個人的にはこのままでいいように思う。群馬藤岡で大半の乗客は降りてしまい、車内の人数も半分以下になってしまった。ここで駅弁を食べることに。鶏そぼろと鶏肉と蒟蒻が入っていてうまかった。
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児玉では列車行き違いのため3分停車。この間にホームに出て写真を撮る人も居た。自分も含めて。寄居からは山の中へ入り、風光明媚な路線となる。この辺が八高線のハイライトといっても過言で無いだろう。小川町からは大量乗車があり、再び立ち客が出た。その後も乗車が続き、車内は大混雑となった。

高麗川からは八王子方面に乗り換えるのだが、通路が狭くてなかなか乗り換えられなかった。ここからは電化されて通勤路線といった感じだ。
※東福生で撮影
やってきたのは先頭車化改造を受けた205系であった(写真は東福生で撮影)。発車時には乗り遅れがいたのか何度もドア開閉をしていた。次の東飯能との間では国鉄時代に大事故が起きている(こちらを参照)。東飯能は西武線との乗換駅だがそちらは単線の傍線駅であり、隣の飯能まで出たほうが列車の本数が多い。金子付近で圏央道の上を通過する。箱根ヶ崎と東福生の間には電化前まで唯一のトンネルがあった。これは付近の米軍横田基地に離発着する飛行機の落下物から列車を守るためのものだったが電化時に車両の大型化のため撤去された。電車に乗っているときも飛行機の爆音が数秒間響いた。拝島と小宮の間にある多摩川橋梁でも戦後まもなく大事故が発生した(こちらを参照されたい。)左側に中央線が迫ってくると終点の八王子。

ここからは横浜線に乗り換える。発車間際で夕方だったため座れなかった。八王子みなみ野を出ると相原トンネルをくぐって神奈川県に入る。これで千葉県、茨城県、栃木県、群馬県、埼玉県、東京都、神奈川県と一都六県を制覇したことになる。町田を出たところでやっと座ることが出来たが立ち客は多い。田園都市線との乗換駅である長津田では大半の乗客が入れ替わった。東海道新幹線と市営地下鉄との乗換駅である新横浜では大半の乗客が降り、立ち客は居なくなったが隣の東横線乗換駅・菊名では再び立ち客が出た。東神奈川から京浜東北線に入ればすぐに横浜へ着く。

横浜からは横須賀線で一気に千葉へ抜ける。なんとか座れ、今までの疲れで寝てしまった。目が覚めたのは津田沼を出たあたりだった。

千葉からは外房線に乗り換える。大回り乗車ということで大網で降りればいいのだがトイレに行きたくなって誉田で降りた。新駅舎を見るという目的もあったが・・・。用を済ませて再び外房線に乗る。大網を出るともう乗客は数えるほどになってしまった。それは下車駅についても同じだった。

※色の違うところをクリックするとウィキペディアに飛びます。詳しい解説はそちらを参照ください。
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【2006/11/23 18:40 】 | 鉄道 | comment(0)

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