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【2024/04/20 13:01 】 |

E233-1000
昨日鉄道博物館へ行ったときに見かけたので特集してみます。

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大宮駅・東武野田線ホームにて
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ドア上にはLCDモニターが設置され、従来のものより大型化された。
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つり革は中央線用と同様のものが採用され、座席は青のシートが採用された。
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行き先表示はフルカラーLEDで、終着駅以外は次の停車駅が案内される。
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磯子にて

E233系は現在中央線に導入されていて、今後も常磐線各駅停車の導入が予定されている。それに伴い、現行の209系は一部が京葉線に転属するほかは廃車予定。
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【2008/01/06 18:10 】 | 鉄道 | comment(33)

わたらせ渓谷鉄道
8月12日、私はわたらせ渓谷鉄道へ行った。これで何回目だろうか。交付金が底を尽きてから廃止のうわさもあり、今後が注目の路線だ。

わたらせ渓谷鉄道は桐生駅の1番線から発車する。
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JR両毛線が4両もしくは5両に対し、わたらせ渓谷のほうは2両か単行での運転となる。私が乗ったのは単行だった。車両ごとに愛称が付いていて、私が乗ったのは「わたらせⅡ」だった。
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このとき、わたらせ渓谷鉄道では「Watarase art project」と称して沿線でイベントが行われ、列車のテーブルにも絵が描かれていた。乗客は若干空席が出るほどであったが、2両だとどうなるのか心配だった。列車はしばらくはJR両毛線の線路を走り、渡良瀬川の鉄橋を渡ると下新田でここからわたらせ渓谷鉄道の線路を走る。ちなみにわたらせ渓谷鉄道の正式な起点は下新田になっている。両毛線と分かれると今度は東武桐生線と並ぶように走る。相老は東武桐生線との乗換駅で、地名は「相生」だがJR山陽本線の駅名と被るため「相老」となっている。桐生でもそうだったが、わたらせ渓谷鉄道ではSuicaとPASMOが使えない旨の放送が流れた。知らずに乗る人がいたのだろうか・・・。運動公園は徒歩10分のところに上毛電鉄の駅があり、車内の地図では乗換駅と示されている。実際、この駅を乗り換え目的で使う人がいるかは不明だが。大間々は沿線の主要であり、本社と車庫がある。ここから乗客が一気に乗ってきて空席はなくなってしまった。その乗客の中に、むかつく奴が居た。その人は大間々から乗ってきたのだが、席に座りながら「やっぱりわ鉄はいいな~、ディーゼルの音がたまらない」と大声で言い出した。周りに客がいないならともかく、車内は混雑で大勢の乗客が乗り合わせていた。しかもしばらくするとカズン「風の街」を大声で熱唱しだした。そいつは水沼で降りたが、車内の乗客が白い目で私と他の同業の方を見ていた。あんな人がいるから鉄道ファンのイメージが悪くなるんだ。「電車男」の影響といわれているが、それ以前から鉄道ファンは白い目で見られていたんだと思う。気を取り直して旅を続けよう。大間々を出ると一気に山の中へ入っていく。隣に渡良瀬川が寄り添うようになり、温泉併設で有名な水沼を過ぎると左に今まで寄り添っていた国道が同じレベルで走るようになる。神戸は富弘美術館の最寄り駅で、昨年も一昨年も行ったので今回は見送った。ここもJR山陽本線の駅名とかぶるということで長い間「神土」と名乗っていたが現在は地名と同じものに改められている。ここから沢入までの区間は草木ダム建設によって付け替えられた区間となる。列車は神戸を出ると全長5.4キロの草木トンネルに入る。列車の速度は40キロ程度であり、抜けるのに10分ほどかかった。
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トンネルを抜けると草木湖上にかけられた橋を渡り、緑色の水面を見ることができる。沢入を出ると国道は渡良瀬川をはさんで反対側になる。
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左側には渡良瀬川が間近に見え、山の中にきたことを思い知らされる。ほどなくして群馬県から栃木県に入り、国鉄時代には最急カーブといわれた坂東カーブを通過する。このあたりには時々猿がいることもあるのだが、今回はいなかった。原向は足尾銅山の最寄り駅だが、ほとんどの乗客は隣の通洞を利用する。通洞の手前で渡良瀬川と国道をまたぐ。通洞は足尾銅山の最寄り駅で、乗客の大半がここで降りた。
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足尾は旧国鉄車両やSL時代の給水塔が残っていて時代を感じさせる。ここから終点の間藤まではわたらせ渓谷鉄道ではもっともきつい勾配となる。終点の間藤まで乗っていたのは数名だった。
【2007/08/12 07:16 】 | 鉄道 | comment(43)

南武支線・鶴見線
4月27日、東京近郊に行ってきた。今回は南武支線・鶴見線と東京モノレールをとりあげる予定。

立川~川崎を結ぶ南武線。その支線である南武支線は川崎のひとつ手前である尻手から出発する。このあたりは工業地帯であるから本数も少なく、1時間に2本程度しか設定されていない。立川方面からやってきた電車は1番線に発着し、南武支線の電車は3番線から発車する。ホームに上がるとすぐに2両編成の浜川崎行き電車がはいってきた。休日とあってか乗客は少なく静かだった。
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この列車と接続する立川行きとのツーショット。左側が浜川崎行き。

電車は尻手を出ると南武線と別れ、単線の線路を走り東海道本線を越える。八丁畷は京浜急行線との乗換駅だが駅にはJRの表記は無く、京急側も乗り換え案内をしていない。八丁畷からは東海道本線からの貨物線と共用の線路を走る。川崎新町は南武支線で唯一交換の出来る駅だが普段交換をする列車は無い。駅を出ると右側に中学校があり、通ったときには運動会の真っ最中だった。終点の浜川崎は尻手同様1線のみで交換できない。
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浜川崎からは鶴見線に乗る。乗り換えにはいったん道路を渡って鶴見線側の駅へ行く必要がある。これは生い立ちがそれぞれ別会社だった名残だ。鶴見線の休日ダイヤは1時間に1本と非常に少なく、僕もなんども待ちぼうけを食らった経験がある。今回はいったん扇町まで行って折り返すことにした。すぐにやってきたのは南武支線より1両多い3両編成の電車だった。浜川崎を出ると左側に貨物の操車場があり、多数の貨物列車がとまっていた。工場地帯を走る鉄道だから見れる光景だ。電車は工場の脇を走り、左側のダンプがいきかう道路と併走する。上をパイプラインが通ったり運河が流れてたりと京浜工業地帯を走る鉄道であることを語っている。昭和は時代名入りの駅として有名で以前は入場券が売れたという。ちなみに時代名のつく駅はほかにも大正駅(JR西日本・大阪環状線)平成駅(JR九州・豊肥本線)が存在する。
終点の扇町は工業地帯の中にある駅で、HR貨物の駅も併設されている。ここまでの乗客はすべて鉄道ファンだったらしく、駅の撮影などをして同じ列車に乗り込んでいた。ホームには駅長?とおもわれるネコがいて乗務員氏に可愛がられているようだった。
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写真でもお分かりのように周りは工場だらけ。CO2削減が進んでいるのか工場独特のいやなにおいはあまりしなかった。折り返し鶴見行きの乗客は扇町行きと同じ面々だった。浜川崎からは複線となり、ほどなくして武蔵白石。ここから大川方面の線路がわかれている。以前は大川方面にもホームがあったが車両を統一する際にホームが車両に接触してしまうため廃止され、現在はひとつ鶴見よりの安善乗換えとなっている。浅野は海芝浦方面との乗換駅である。弁天橋は鶴見線の車庫が設置され、乗務員の交代もここで行われる。鶴見小野との間で進路を北に取り、工場地帯から住宅街に入る。鶴見小野からは満員となり、おばさん方(失礼か)の声がうるさかった。国道は名のとおり国道1号の真上に設置された駅で、ここを過ぎると東海道線の上をとおり京浜東北線と接続する終点の鶴見に着く。
【2007/05/27 17:58 】 | 鉄道 | comment(9)

西武多摩川線
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西武多摩川線は唯一他の西武線と接続していない路線である。
起点の武蔵境はJR中央線と接続している。
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つい最近まで地上のローカルな駅だったが今は立体交差化事業により多摩川線は一足早く高架となった。しかし多摩川線には自動改札がなく、駅員が丁寧に検札をしている。都内では珍しくなった光景だ。なお多摩川線ではパスネットの利用は一切できないので注意したい(PASMOは利用可。ただし券売機は不可)列車もすべてワンマン運転であり、全線単線であるから総武流山電鉄と似たイメージを持つ。車両ももとをただせば同じ車両であるから驚きだ。
列車は高架を降りると住宅地を走る。単線であるから迫力がある。新小金井で武蔵境行きとすれ違った。多磨は最近まで「多磨墓地前」と名乗っていたが大学ができる際にマイナスイメージとなるため改名された。次の白糸台も「北多磨」と名乗っていたが多磨墓地前が多磨に解消されたのを受け、多磨より南に存在することになり改名された。徒歩数分で京王線の多磨霊園と武蔵野台に出られる。多摩川線の中枢となっており、車庫が存在する。競艇場前は名のとおり競艇場のまん前にある駅であり、武蔵境にも開催日を記した看板が立てられていた。

終点の是政は住宅地の中にあり、目の前には稲城橋(だっただろうか)が架かっていてそこをわたればJR南武線の南多摩に出られる。僕は歩こうと思ったが距離が把握できなかったのでそのまま引き返すことにした。
【2007/04/21 17:57 】 | 鉄道 | comment(1)

総武流山電鉄
4月21日、首都圏方面へ乗り鉄にいった。前ブログでのアンケートを元に、路線ごとにピックアップすることにした。お楽しみいただければ幸いだ。
始発の馬橋は常磐線各駅停車の乗換駅だが、自動改札の設置された常磐線側とは違い、流山線側は駅員が丁寧に検札をしている。僕が駅に入るとちょうど流山行きが発車するところだった。車両はすべて西武鉄道からのお下がりであり、車両ごとに愛称がついている。僕が乗ったのは「なの花」だった。名のとおり車両は菜の花色に塗装されている。流山を出ると列車はすこし複線を走った後単線となる。なお流山線は馬橋発車直後以外は単線となっている。乗って思ったのだが、この列車は半端なくゆれる。乗り物に弱い人はすぐに酔ってしまうだろう。最初の停車駅である幸谷はJR線の新松戸と隣接しているが別の名前を名乗り、連絡乗車券の発売も行っていない。ここを出ると田園風景となり、ほどなくして唯一の交換駅である小金城址に着く。ほぼすべての列車がここで行き違いを行い、今回は「青空」とすれ違った。駅を出ると再び住宅地に入り、鰭ヶ崎。鰭ヶ崎と平和台の間でつくばエクスプレスが交差するが、向こうは地下のため見えない。平和台は交差点のすぐ脇の狭い空間にあった。わずかだった乗客も大半ここで降りてしまった。平和台を出るとすぐに終点流山に着く。
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流山に着くと反対側のホームには3両の「流馬」が留置されていた。日中は2両編成ばかりだから通勤時間帯にでも使われるのだろう。ちなみに「流馬」の「流」は流山から、「馬」は馬橋からとられた。
折り返しはすぐの発車で、切符を買っていると若手の駅員氏が「乗ります?」と聞いてきた。「いいです」というと駅員は列車を発車させた。
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次の電車まで時間が空いたので流山駅の上にあるこ線橋から写真を撮ってみた。上が馬橋方面で下が流山駅を見たもの。車庫があるのがわかる。この後「青空」が来たので飛び乗り、馬橋へ戻った。
【2007/04/21 17:53 】 | 鉄道 | comment(2)

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