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【2024/05/03 20:23 】 |

誉田駅
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3月1日、新駅舎になってから行ってなかったJR外房線・誉田駅に行ってみた。

駅舎は橋上化され、今までの古い駅舎がうそのような変貌ぶりだった。

改札も広くなり、通路は自由通路になっていた。

バスの発着する窮屈な西側とは違い、あらたに開設された東側は駐輪場と広いロータリーが広がっていた。しかし工事途中らしく作業員が居た。

特急が通過となってしまって久しいが、今後の発展に期待したい。
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【2007/03/01 19:01 】 | 鉄道 | comment(2)

首都圏私鉄めぐり 完結

ずいぶん時間が掛かってしまいましたが、書き上げました。ぜひご覧ください。

2月4日、僕は東京近郊の私鉄めぐりに行ってきた。ここではそのときのレポートを書いておく。

外房線の始発電車

僕は東京方面に出るときはほぼ始発電車を使う。今日もそれにのっとって始発電車で旅を始める。やってきた列車には乗客もまばらでボックスシートも貸しきり状態で使えた。しかし途中駅の大網からは大勢乗ってきて座席はほとんど埋まってしまった。さらに鎌取からもたくさん乗ってきて大勢の立ち客が出た。だが蘇我では京葉線への乗り換え客で大半が降りてしまい、終点の千葉へ行く客は少なかった。

総武線各駅停車

千葉からは総武線各駅停車に乗る。
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総武線快速もあるが僕が地下鉄に乗る西船橋は停車せず、乗り換えも面倒なので各駅停車に乗る。発車前の車内放送は女性のような声だったので乗務員室を覗いてみたら中年の男性車掌だった。以前、総武快速でも同じ体験をしたので発車後の自己紹介の名前を聞いたところ、同じ方だった。それによると乗務は津田沼までだという。幕張を過ぎたあたりからあたりは明るくなり始めた。車掌氏は予告どおり津田沼で交代し、今度は女性車掌になった。喋り方が桃井かおりに似ている気がしたのは自分だけだろうか。

東京メトロ東西線

西船橋からは東京メトロ東西線に乗り換える。ここで東京メトロ・都営共通の一日乗車券(¥1000)を購入。
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やってきたのは東葉高速鉄道からの直通運転で車内にはそれなりの乗客が居た。なお東葉高速は運賃の高さから一部では「東葉高額鉄道」とも呼ばれている。東西線では地下鉄で唯一快速運転を行っているが朝方の運転は無いため各停に乗ることにする。浦安からは通勤客がたくさん乗ってきて立ち客も多くなった。ちなみに東西線は「世界一混む地下鉄」とも言われている。東陽町ではもう身動きがとりづらくなった。休日ですらこれだから平日は・・・と考えるとおそろしくなる。

東京メトロ丸ノ内線

茅場町からは日比谷線に乗り換え、銀座からは丸ノ内線にのる。東西線や日比谷線と違い、こちらは比較的空いている。というか、空き過ぎだ。そのせいか、この丸ノ内線は近いうちにワンマン化される予定。ワンマン対応のホームドアも荻窪方から順次設置されていて現在は四谷三丁目まで設置、新宿御苑前まで稼動している。霞ヶ関でもどんどん乗客が降りていき、僕の乗っている最後尾は貸切状態になってしまった。四ツ谷は地下鉄では珍しく地上にある駅だ。もっとも、丸ノ内線には後楽園と茗荷谷という地上駅もあるし、東西線も西葛西までは地上なのだが。四谷三丁目は既にホームドアは設置され居るが稼動はしていなかった。車掌の停車する位置には「次駅稼働中」と書かれていたので新宿御苑前に期待した。案の定、次の新宿御苑前は稼働中で車掌がまずホームドアを開けて次に列車ドアを開け、さらに列車ドアを閉めて最後にホームドアを閉めていた。新宿といえばJR線はいつも混雑しているのだが、こちらはさほどの混雑は無かった。

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中野坂上からは方南町方面に乗り換える。荻窪方面行きから降りて反対側には方南町行きの3両編成が停まっていた。乗客もそこそこ乗っている。なお方南町方面は朝夕の本線直通の6両を除いて全て3両編成のワンマンで運転される。中野富士見町は丸ノ内線の車庫があり、本線直通列車はここが始終着となる。
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終点の方南町は3両編成しか乗り入れないため車両の長さとホームの長さがアンバランスだ。僕はここで折り返し、四ツ谷まで戻ることにした。

東京メトロ南北線

四ツ谷からは南北線に乗る。開業したのは最近のため、近未来的なシステムが使用されている。まず、ホームドアを設置して車両とホームを分離している。丸ノ内線のホームドアに対し、こちらはホームと車両を遮るように完全に分離させている。次に自動運転の採用だ。現在東京の地下鉄では都営三田線と大江戸線、メトロ千代田線の北綾瀬線、副都心線(未開業)で使用されているが、そのさきがけがこの南北線なのだ。なおドア開閉のため全て運転士が乗務している。乗客も比較的多く、立ち客も見かけた。白金高輪では都営三田線と合流する。ここで直通先の東急目黒線の駅、大岡山、田園調布、多摩川、武蔵小杉には三田線からの急行が先着の旨が案内されたが僕はゆっくり行きたいのであえて各停に乗り続けた。
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東急目黒線

南北線と都営三田線は目黒から先は東急目黒線に乗り入れている。僕は地下鉄の一日乗車券しか持っていないため、いったん出場して東急線の切符を買いなおすことにした。僕は田園都市線・宮崎台隣接の「電車とバスの博物館」に行くため210円の切符を買って入場した。やってきたのは埼玉高速鉄道の車両で、南北線の赤羽岩淵を介して直通運転を行っている。目黒発車後はいったん地上に出るが、不動前を出たところから再び地下に入る。なおここから洗足までは2006年7月に地下線に切りかわった。武蔵小山には待避線が設けられており、急行の待ち合わせはここで行われる。僕の乗った各停は退避をしない列車だったので待避線に入ることは無かった。洗足の手前で再び地上に出るがすぐに地下に戻ってしまった。大岡山を出ると田園調布の手前までは地上を走る。奥沢では都営線直通の急行とすれ違った。
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東急東横線

田園調布からは1区間だけだが東横線に乗る。隣の自由が丘まではあっという間だった。

東急大井町線

自由が丘からは大井町線に乗り換える。ホームに行くと大勢の乗客で唖然とした。大井町線は全て5両での運転のため混雑を予感した。だが大半の乗客が入れ替わり、座れなかったがつらくはなかった。隣の九品仏は両端にホームがある関係で二子玉川よりの1両はドアが開かない。上野毛を出ると高架になって田園都市線の下り線をまたぐように二子玉川に着く。
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東急田園都市線

二子玉川から宮崎台までは田園都市線となるが、朝食がまだたったので改札内の「Soup Stock Tokyo」で朝食をとった。「東京ボルシチ」がうまかった。この店は東京都内に数箇所あり、以前大崎駅店に行ったことがある。
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ホームに上がるとなんと1編成しかない「伊豆のなつ」が急行中央林間としてやってきた。これは東急グループである伊豆急行の宣伝のために昨年の夏から走っているものだ。現在は広告も取り除かれたが塗装は同じ色で運転されている。これに乗ろうと思ったが、宮崎台は急行通過のため見送ることにした。これが出た後、向かい側に大井町線がやってきたが、それに乗務していたのは車掌見習というワッペンをつけた女性車掌だった。東急で女性車掌ははじめてみたが、こういったワッペンをつけていることも珍しい。それが回送として出て行った後、やっと各停中央林間がやってきた。溝の口までは大井町線の延長工事のため仮設と思われる駅施設が多く思った。高津は以前「電車とバスの博物館」があったがこの延長工事の影響で宮崎台に移転した。溝の口は大井町線のために1つホームを増やす工事をしていた。JR南武線との乗換駅だがそちらは武蔵溝ノ口と名乗っている。梶が谷は最近リニューアルされ、今までの駅を覆すデザインとなっている。そしていよいよ、「電車とバスの博物館」の最寄り駅である宮崎台に付く。

電車とバスの博物館
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宮崎台に着くと上り方面に南栗橋行きの東京メトロの車両が走っていった。なお田園都市線は地下鉄半蔵門線、東武伊勢崎線、日光線と直通運転を行っていて、全区間走る列車の総走行距離は南栗橋駅~中央林間駅間で98.5kmを走破する。時間は東急線内各停、半蔵門線・東武線内準急で155分掛かる。話がそれてしまったので元に戻そう。駅改札をでてもう目の前には博物館への連絡通路がある。その通路には歴代の東急線の電車・バスの写真が年代順に展示されている。入り口脇には踏切があり、一定の時間になると作動するようになっている。なおこの踏み切りは田園都市線で唯一の踏切ということになるらしい。館内に入るとまず券売機があってここで入場券を買うことになる。切符を買ったら横にある自動改札から中に入ることになる。なお出入り口にはすべて自動改札が設置されていて切符を持っていればその日は入館自由だ。まず目の前には鉄道模型が広がり、決められた時間になると動くようになっている。その奥には「昔の電車と駅」と題して昭和40年代ごろの高津駅とデハ1形と呼ばれる旧型車両が復元されている。さらに奥に進むと「電車と線路」と題して鉄道模型の運転を通して保安装置などの体験が出来る。階段をおりて1階に下りると目の前には東急バスの実物とシミュレータがあった。高津時代にこのシミュレーターに挑戦したがあまりの無謀な運転に館員の方にあきれられたことがあった。その奥には電車運転シミュレータがあるのだが、順番待ちの列が長かったため断念した。その右側には「ぺこちゃん」と親しまれた玉電の車両が展示されていた(飲食可)。その奥に進むとかつて目蒲線(現:目黒線、多摩川線)で活躍していたデハが展示され、パンタグラフの上げ下げ、台車の様子を見ることが出来る。東出口から横断歩道を渡るとイベント館がある。ここでは図書やビデオを借りることが出来る。僕はここで東横線のビデオを借りて見た。

田園都市線で都心へ

その後、僕は田園都市線で渋谷方面へ向かうことにした。やってきたのは東武30000系で、駆け込み乗車が多かったのか何度も小開扉をしていた。二子玉川ですれ違った50050系も東武の車両であり、東急線内で東武の車両の並びを見ることが出来た。三軒茶屋では乗客がたくさん乗ってきてものすごい混雑になった。


東京メトロ半蔵門線

渋谷で大半の乗客が入れ替わり、半蔵門線に入る。「エチカ」で有名になった表参道は以前来たときと見違えるほどリニューアルされていた。半蔵門では運転士がブレーキのタイミングを間違えたのか、非常ブレーキが掛かった。
東武50050系@神保町東武30000系@神保町

都営新宿線
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僕はずっと同じ路線に乗っていると飽きてしまうのでこの辺で他の路線にも乗りたくなった。僕の持っている切符はメトロ・都営共通の一日乗車券だ。しかしながら今まで都営には乗っていない。そこで次の神保町から都営新宿線に乗ることにした。半蔵門線ホームから新宿線に乗るにはいったん三田線ホームを通らなければならず、乗りたいという気持ちになったのは言うまでも無い。そんなわけで新宿線に乗ったが、この先の細かい予定は決めていない。路線図を見ると市谷で有楽町線に接続している。有楽町線は昨年9月に10000系という新型車が導入され、一度も見ていなかったので有楽町線に乗ることにした。市ヶ谷に着くと「↑有楽町線」という表示があったのでその方向に進んでみると本八幡方面のホームに出た。ホーム中ほどに乗り換え改札があった。そこを抜けると左側にJRの連絡改札、右側に有楽町線、南北線への通路があり、僕は有楽町線に乗るので右側に進み、階段を下りた。最初は乗るつもりだったが、ここで10000系が来るのを待つことに。しかし待てども待てども10000系は現れず、今後のこともあるので残念だが新宿線に戻ることにした。今度は本八幡方面へ向かう。どこへ行こうか迷ったがとりあえず今話題の「ヨドバシカメラ マルチメディアAkiba
」へ行ってみることに。最寄の岩本町は周囲の秋葉原、神田と違いしんと静まり返っていた。地上に出ると上のほうを首都高が通っていて「東京に来たんだな」と実感させられた。その首都高沿いに進むと東京メトロ日比谷線の秋葉原駅と「マルチメディアAkiba」があった。店内に入ってみるとものすごい混雑であった。僕はイヤホンが壊れていたのでイヤホン売り場に行った。思いのほか種類が多くてどれにしようか迷った。支払いはポイントカードを使ったので現金支払いは不足分の100円程度だった。他の売り場も見てみたが、やはり市内の電気店とは品揃えが違った。ここは何度来ても飽きない。

東京メトロ日比谷線

イヤホンを買ったあと、僕は東武博物館へ行くことに決めた。先ほどの日比谷線秋葉原から北千住、北千住から東武線で東向島へ出るルートだ。日比谷線の秋葉原駅はJRの秋葉原よりは人が少なく感じた。やってきたのは東武線直通の東武動物公園行きで、運転士が新人なのか指導員が乗務していた。車掌も新入りらしく、普段使われる自動放送の電源を切って喋っていた。三ノ輪を出ると地上に出てJR常磐線と併走する。だがスピードは常磐線のほうが速い。常磐線より一段高いところを走るようになり、程なくして北千住。ほとんどの列車はここで折り返さず、東武線東武動物公園まで乗り入れる。

東武伊勢崎線

北千住からは東武伊勢崎線に乗り換えるが、昼飯がまだだったので改札内のおにぎり屋でおにぎりを2つ購入、東武博物館で食べることにした。浅草方面のホームに下りると半蔵門線、東急田園都市線直通の中央林間行き急行がやってきた。しかし東向島は急行が停まらないので見送る。
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その後やってきた区間準急は北千住から先は各駅に停車するのでこれに乗ることに。この区間準急はここで後から来る区間快速の待ち合わせをするとアナウンスされた。
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ほどなくして反対ホームに浅草行き区間快速が来て先に発車していった。しかしなんと区間快速がホームを出ないうちに区間準急も発車した。案の定発車直後は停まりそうなスピードだったが区間快速は浅草までノンストップのため徐々にスピードが増していった。牛田は京成線との乗換駅だが京成は駅名を「関屋」と名乗っている。なおこのあたりは「3年B組金八先生」のロケ地とも知られる。鐘ヶ淵は追い越し線が設けられていて時々優等列車の通過待ちを行う。鐘ヶ淵を出るといよいよ東向島だ。

東武博物館

東武博物館は伊勢崎線の高架下にあって駅からすぐ。入館すると「東武の幕開けコーナー」として蒸気機関車が展示され、時間になると動く(といっても車輪が動くだけだが)。そこから奥に進むと特急「スペーシア」の個室が再現されている。その右手には展示コーナーがあって東武の歴史を知ることが出来る。その奥には模型があり、実際に運転台に立って運転できる。さらにその奥には伊勢崎線のシュミレーターが2台、東上線のシュミレーターが1台設置されている。さらにその奥には「関東平野を走る東武」として東武の鉄道模型が定時に運行される。2階には自動改札と窓口があり、ここで下のような
定期券をもらうことが出来る(無料)4b7cbffb.jpg




 

 
最初来たとき、無愛想な館員が発券していたが、今回は前回ほど愛想は悪くなかった(悪いことに変わりは無いが。まあこれが東武クオリティか?)。
なお、下のような記念乗車券も手に入る。
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さらに奥に進むと東向島駅のホームの真下に来る。ここには窓がついていて列車の下回りを見ることが出来る(以前、タモリが電車のスト●ップと言っていた)。
それらを楽しんだ後、僕は出口横のミュージアムショップへ行った。するとそこには東武のキャラクター「とぶっち」の描かれた1000円分のパスネットが売っていた。思わず買ってしまったのは言うまでもない。

再び東武で浅草へ

東武博物館を後にし、東向島から再び東武線に乗る。曳船から亀戸線に乗って亀戸に出ようかと思ったが、金が掛かるので素直に浅草まで出て地下鉄に乗ることにした。曳舟で亀戸線と半蔵門線が分かれ、ローカルムード漂う業平橋を過ぎるとスピードを控えめにして隅田川を渡る。この辺は名所として知られる。橋を渡るとすぐに浅草に着く。
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浅草はカーブの関係で伊勢崎寄りのホームは電車との間に人が一人入ってしまうほどの隙間が開くので注意されたい。なお特急はホームと列車の間に板が置かれる。8両は伊勢崎より2両のドアが開かない。僕は最後尾に乗ってしまったため少し前よりの車両に移動して降りた。

東京メトロ銀座線

浅草からは地下鉄銀座線に乗るのだが、その通路に面白い看板があった。
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分かりづらいが、「京急」の「急」が上から書かれたものなのだ。下にはいったい何が書かれているのか気になる。もしかして京浜急行の旧称の「京浜」?だとするとこの看板は何年前からあるのだ?
改札を通ろうとしたとき、ちょっといとしたハプニングが起きた。一日乗車券を投入したところ、扉が閉まってしまった。表示を見ると「期限切れ 使えません」と出た。日付を確認したが、明らかに当日の日付だ。不安ながら他の改札機に投入したら通れた。いったいさっきのは何!?
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ホームに行くと渋谷行きが発車間際だった。この電車に乗って上野広小路まで出る。

都営大江戸線

上野広小路からは都営大江戸線に乗り換える。大江戸線の駅は上野御徒町と名乗っていて少し離れたところにある。
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大江戸線は東京では唯一のリニアモーター式の地下鉄で、6の字運転を行っている。赤字路線らしいが、僕が乗ったときにはそれなりの乗客が居た。行楽帰りの子供連れ、外回りらしきサラリーマン・・・。新宿線との乗換駅森下はあっという間だった。

都営新宿線

森下からは都営新宿線に乗る。こちらも乗客は多く、都営の中でもっとも利用客が多いだけある。大島を出るといったん地上に出て江戸川を渡る。船堀を出ると再び地下に入りほどなくして本八幡に着く。

JR総武線

本八幡からは総武線各駅停車で千葉に出る。やってきたのは津田沼どまりだった。千葉方面へは東船橋で乗り換える旨の放送が流れ、案内どおり東船橋で千葉行きを待った。やってきた千葉行きの運転士は女性の方であった。ずいぶん前に総武・中央線各駅停車で女性運転士が誕生したというニュースをやっていたが、同じ方だろうか。その運転士は津田沼で交代した。

JR外房線

千葉からは最寄り駅まで外房線に乗る。駅構内の無印を覗いていたら、翌日クラスの人が見ていたという事実が発覚。あのカッコウはまずかったかな・・・。帰りの電車は家に帰るであろう会社員が多かった。僕もこれで家路に着いた。
【2007/02/28 18:50 】 | 鉄道 | comment(1)

今日のまとめ
今日は東京へ行ってきた。
まずは渋谷から田園都市線で中央林間へ向かった。
東武50050系(宮崎台)
で、やってきたのがいきなり50050系!これに乗って中央林間を目指した。
続いて今回のハイライト、関東横断。
大井町線8500系(中央林間)
中央林間に着くと向かい側1番線に大井町線直通急行がとまっていた。直通急行は土曜・休日のみの運転で短い5両で運転される(田園都市線は10両)。田園都市線と区別をつけるため黄色のラインが入っている。

やってきた各駅停車(渋谷から急行)久喜行きは東急8500系での運転だった。個人的には5000系を狙っていたのだが・・・。
長津田では急行退避。長津田ではほとんどの乗客が急行に乗り換えてしまい、車内はがらがらとなった。だがあざみ野で活気が戻った。鷺沼では再び急行退避。だが乗客は相変わらず多い。『電車とバスの博物館』の最寄り駅宮崎台と大井町線の車庫が設置される梶ヶ谷近辺は高架と切り取りが連続する。多摩川を渡り神奈川県から東京都に入る。桜新町ではふたたび急行退避。東京メトロに入る渋谷から急行になった。

半蔵門線は地下のためなんともいえないが、押上から東武線に入り地上に出ると下町の雰囲気。金八先生のロケ地・堀切を通過し、北千住からは複線区間。このあたりでスペーシアとすれ違った。草加あたりでの各停とのデッドヒート、越谷での特急『りょうもう』退避など、東武線ならではの光景も見ることが出来た。東武動物公園を過ぎると住宅が少なくなり田園風景に。田園都市線の新興住宅地とは違った風景が見れた。
東急8500系(東武久喜)館林行き10030系
終点久喜では館林ゆきに接続。行こうと思ったが時間の都合で断念。ここからは湘南新宿ラインで新宿へ。この車内で寝てしまったのは内緒である。
湘南新宿ラインE231系
新宿からは中央線の新型車・E233系に乗るため中央線ホームへ。
中央線E233系(中野)
ちょうどE233系の中央特快が来たので乗車。どの駅もカメラマンが沢山いた。そして立川まで乗車。そこから201系で東京まで引き返す。
中央線201系
今度は東京から秋葉原へ行き、鉄道仲間と鉄道模型店をはしご。そして約2時間後、総武線で家路に着いた。
【おまけ】
渋谷のハチ公前に展示されている東急旧5000系(青ガエル)
東急旧5000系
【2006/12/30 20:59 】 | 鉄道 | comment(0)

実行

先日予告しておりましたが、明日東京へ行きます。

一通りの流れとしては東急田園都市線、東京メトロ半蔵門線、東武伊勢崎線、JR宇都宮線に乗る予定です。

ひょっとしたら宮崎台のあの施設にも姿を現すかも・・・。(東向島にも姿を見せるかも)

【2006/12/29 13:05 】 | 鉄道 | comment(0)

外房線の旅

今日は部活が午前中で終わるため、そのあとの時間を使って外房線の安房鴨川まで行ってみた。ここではそのレポートを書いていく。

部活が終わり、私はそのまま高校最寄り駅から下り勝浦行きに飛び乗った。単線区間に入り、ローカルな風景が続くようになる。ところどころ複線になっているものの、そこでの列車交換は無かった。いすみ鉄道と接続する大原で大半の乗客が降りてしまった。ここからは東京近郊区間から離れるためSuicaは使えない。浪花を出ると外房線では千葉方から2つ目のトンネルに入る。1つ目は土気~大網にあるため、ずんぶん長いことトンネルが無かったことになる。御宿からは勝浦までの1区間が複線になる。しかし行き違いは無く、この複線の存在意義を疑問に思った。1年前に乗ったときも行き違いは無かった。

勝浦では安房鴨川方面に乗り継ぐ。安房鴨川行きは勝浦まで特急『わかしお』で走ってきた車両がそのまま各駅停車となる。勝浦どまりの列車でもその旨が案内された。
DVC01282.JPG※クリックすると拡大します。

 

 


特急車両の安房鴨川行きは5両編成で全車両自由席となる。特急車両だけ合ってテーブルが付いていたりリクライニングシートであった。なお通常使用される自動放送は各停の区間では使用されず、車掌の肉声を使っているようだ。通路上のLED案内も特急運転時には行き先、停車駅や編成の諸案内が流れるがここではただ単に『次は●●です』とだけ表示された。行川アイランドから先はトンネルとトンネルの間に見える太平洋が最高だ。数年前、テレビ朝日系『タモリ倶楽部』でここが『電車がちらりと見える映像(電チラ)』として紹介された。安房小湊からはいったん山の中に入るが安房天津からは再び海沿いを走る。雨天だったため空は明るくないがそれなりに楽しめた。
DVC01284.JPG※写真をクリックすると拡大します。
終点の安房鴨川は近年洋風駅舎に建て替えられた。以前は1番線に足湯があったが撤去されていた。一時的なものだったのだろうか。駅舎反対側にはジャスコがあり、駅舎外のこ線橋で行くことが出来る。
DVC01285.JPGこ線橋から館山方を望む。
DVC01287.JPG振り返って勝浦方を望む。

安房鴨川の滞在時間は30分ほどで、すぐに折り返した。帰りも行きと同じ勝浦まで各停、勝浦から特急の東京行きだった。最後尾の5号車には僕と老夫婦しか居らず、がらがらだった。これくらいなら特急料金不要で乗せてもいいと判断したのだろう。勝浦到着前には特急になる旨と号車案内があった。私は各停で行くので乗り換えとなった。

DVC01288.JPG勝浦を発車する特急『わかしお』
勝浦で安房鴨川方面からの電車と千葉行きの各停との接続には20分の時間がある。待ち時間を利用して2階コンコースに行くとなんとLEDの発車案内が設置されているではないか。ちなみに設置されているのは千葉と本千葉、蘇我、誉田、そして勝浦だけだ。
DVC01289.JPG車庫から引き上げてきた各駅停車
次発の各駅停車千葉行きは車庫?からやってきた始発電車だった。やはり乗客は私と老齢の方だけであった。僕はこの電車に乗って家路に着いた。

この記事を書いているとき、茨城県・鹿島鉄道の廃止が決定したというニュースが流れた。次々と鉄道が減ってしまい、鉄道の将来はあまり明るいものではないように感じた。

【2006/12/25 19:24 】 | 鉄道 | comment(0)

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